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伝統のプルーンジャム作り
投稿日 2018年10月10日 08:17:00 (ルーマニア)
結婚式の取材を終えて帰ると、
待っていたのはプルーンジャム作りだった。
50キロのプルーンを洗い、
種と実を分けて、大鍋で煮ること12時間。
種と実を分けて、大鍋で煮ること12時間。
水も砂糖も一切なしの、純粋なプルーンジャムが出来上がる。
エルジおばさんの家には、
二晩、娘のエルジやその友人一家、
おばさんの親戚や友人たちが寄り集まった。
皆でプルーンの種を分けながら、おしゃべりが始まる。
昨日の結婚式のことで持ちきりだった。
村の生活の醍醐味は、助け合いの共同作業にある。
どんなに村人たちが金銭的に裕福であっても、
共通の文化行事や助け合う気持ちがなければ、
村の生活は無味乾燥したものとなるだろう。
プルーンを使って、プルーン団子を作ったり、
セーク名物の揚げ菓子「チュルゲ」を作ったりした。
近くの町で暮らす娘夫婦、その友人一家がやってきて、
夜遅くまでプルーンジャムの煮込みをした。
娘のエルジさんは50代の女性で、
嫁入り道具もすべて自分の手で作った世代の人だ。
スカーフのバラ刺繍のやり方を、
近所の娘さんに教えてあげていた。
私も持ち寄った、セーク刺繍を取り出した。
すると、エルジおばさんも
「私も手仕事がしたくなってきたわ。」
とアトリエである納屋から紡ぎの棒を持ってきた。
人が働くのを見ると、自分も何かせざるを得ない根っからの働き者だ。
豆電球ひとつ照らされた庭では、
プルーンの大鍋をかき混ぜる人、薪をくべる人、
刺繍をする人、糸を紡ぐ人。
それぞれが別の仕事をしながらも、一人ではないという不思議な一体感がある。
「私たちが若い頃はね、
毎週決まった日にこうやって若い女の子たちが手仕事を持ち寄って集まったの。
すると、村の若者たちがやってきて、いたずらをしたり、おしゃべりをしたり、
踊ったりしたの。
手仕事なんてもちろん、はかどらなかったから、
1週間で何㎝しか刺繍も進まなかったわ。」とエルジおばさんは楽しそうに話す。
クルクルとスピンドルを回し、麻を糸に紡いでいく手つきがあまりに美しくて見惚れていると、
手から棒がすべり落ちた。
「こんな風にスピンドルを手から少女が落として、
それを拾った少年はキスをもらえるんだ。」とマルトンおじさん。
「さ、おじさん。早く拾って!」と皆が大笑いをする。
長いスピンドルの先についた麻糸の塊を手ですくいあげ、
マルトンおじさんは話した。
「麻糸に火をつけて、もし上に燃え上がったらその少女は少年が好き、
もし下に落ちてしまったら、きらい、と占いもしたんだ。
もちろんフォノー(糸紬の家)では室内だから、
空気が暖まって上に上がるのは当然だけれどね。」
おじさんが茶色い麻糸に火をつけると、
予想通り(屋外であるから)下に落ちてしまった。
皆が笑い転げる中、マルトンおじさんは肩を落として「嫌いなんだ。」と言った。
この世代の人たちが経験した、美しい時間の過ごし方。
それを語る人たちの表情から、いかに幸せな時代であったかが偲ばれる。
ジャム作りの大鍋に車軸のような混ぜ棒が置かれ、
50キロのプルーンがゆっくりと液状になり、やがて固まってくる。
この作業は少しでも休むと、プルーンが鍋底に焦げ付いてしまうため、
かき混ぜ続けないといけない。
さらに、薪の番をする者もいるから、
ふたりではとてもできる仕事ではないのだ。
3年前に作ったプルーンジャムは、
古い陶器のケーキ型に入っていた。
まるでガムのように弾力がある。
これを混ぜると、新しいものにコクが出て、固まりやすくなるという。
夜行列車の出発の時間が近づいたとき、
ジャムはほぼできあがり、ガラス瓶の中に熱いできたてのジャムを入れてもらった。
エルジおばさんの孫息子さんが職場から駆けつけ、
ケーキを囲んで、エルジおばさんの72歳の誕生日を皆で祝った。
町の駅まで車で送ってもらい、あたたかな思い出とお土産を手に、
7時間かけてセーケイ地方へ向かった。
Source: トランシルヴァニアへの扉 – Erdely kapuja-
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