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【7分で分かる】スラヴ人ってどんな民族グループ?ポーランド人は西スラヴ人
投稿日 2021年4月23日 05:20:42 (未分類)
この記事の内容
ポーランドについて調べると、”スラヴ” というワードがちらほら見られます。日本人がアジア人に属するように、ポーランド人はスラヴ人に属するわけですが、では、スラヴ人とはどのような人々を指すのでしょうか?
当記事を読めば、スラヴ人の特徴や信仰など基本知識が分かります
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この記事の目次
❶ 主なスラヴ民族グループは3つ
主要なスラヴ人グループ
❷ ポーランドの起源、5つの民族
ポーランド民族の分布
改宗は国をまとめる手段?
❸ スラヴ神話と多神教信仰
スラヴ神話の主要な神々
スラヴ信仰の儀式の特徴
❹ かつて使用された古代スラヴ語
❺ スラヴ人の外見的特徴とは?
❻ この記事のまとめ
ポーランドには自然宗教の時代から季節が6つある|季節の伝統習慣も紹介
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主なスラヴ民族グループは3つ
スラヴ人は東ヨーロッパの広大な領土に居住する民族集団を指し、広義では東欧や中欧に起源を持つ人々をスラヴ人と言います。
民族がどこからやって来たかについてはまだハッキリと解明されていませんが、存在が確認できるのは6世紀半ば以降。
初期では東のほうに住んでおり、共通の信仰と習慣を持ち、共通言語を話していました。
もともとスラヴ人は小さな集団をつくって暮らしていたので数多くの部族があり、穏やかな農耕民であったと言われます。
部族をまとめる際も血で血を洗う争いより、強い者に付いていくというスタンスでした。
そして7世紀前後に大規模な移住があり、スラヴ人は西へ南へと広がります。
民族同士でも分裂や戦いを繰り返し、新しい領土をどんどん獲得・統一していきました。
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主要なスラヴ人グループ
地理的分類によるスラヴ民族 | |
西スラヴ人 | ポーランド人、チェコ人、スロバキア人、ソルブ人/ソルビア人、カシューブ人 |
中欧を流れるオーデル川(現ポーランド西部)、エルベ川(現ドイツ北部から南東部)、ザーレ川(現ドイツ東部)周辺に定住したスラヴ民族。ソルブ人はドイツ人に、カシューブ人はポーランド人に同化した。中世では神聖ローマ帝国に接していたため、宗教や文化はローマ・カトリックの影響を受けている。 | |
東スラヴ人 | ベラルーシ人、ロシア人、ウクライナ人、ルーシ人 |
ドニエプル川(ロシア西部からからベラルーシを経てウクライナ南部の黒海に流れる)沿いの地域とモスクワ周辺に定住したスラヴ民族。中世ではギリシア正教会のビザンツ帝国の近くにあったため、宗教や文化はギリシア正教会の影響を受けている。 | |
南スラヴ人 | ブルガリア人、クロアチア人、モンテネグロ人、セルビア人、スロベニア人など |
バルカン半島やペロポネソス半島(現ギリシャ南部)周辺に定住したスラヴ民族。他人種との混血が目立つ。神聖ローマ帝国とビザンツ帝国に挟まれていたため、宗教や文化はローマ・カトリックとギリシア正教会両方の影響を受けている。15世紀にはオスマンに制圧され、西・東スラヴ人より複雑に発展した。 |
ポーランドの起源、5つの民族
10世紀にポーランド王国として統合された地域に住んでいた部族は、ポメラニアン族、ポラン族、マゾヴィアン族、シレジアン族、そしてヴィストラン族の主な5つです。
中でも、966年のポーランド建国前後に最も有力だったのは、ポズナン周辺のポラン族とクラクフ周辺のヴィストラン族。
9〜10世紀のスラヴの領土は神聖ローマ帝国やモラヴィア(現在のチェコ東部)から強い圧力を受けており、それはキリスト教ローマ・カトリックに改宗することでした。
当時、力では圧倒的にカトリックが強く、また自然宗教を崇拝すうはいしているだけで侵略されるという危機的状況にありました。
中世キリスト教は従わない異教徒に対して攻撃的で、非常に恐ろしい存在だったのです。
そこで立ち上がったのが、10世紀半ばのポラン族首長・ミェシュコ1世。
彼は自然の神々への信仰を捨て、ボヘミア王の娘と結婚すると同時に洗礼を受け入れ、自身の領土をローマ・カトリックに改めました。
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ポーランド民族の分布
ポーランド初期の5部族の分類 | |
部族の名前 | 現在の地方名 |
ポメラニアン族 Pomorzanieポモジャニェ |
ポモージェ地方 グダニスク、シュチェチン |
ポラン族 Polanieポラニェ |
ヴィエルコポルスカ地方 ポズナン、グニェズノ |
マゾヴィアン族 Mazowszeマゾフシェ |
マゾフシェ地方 ワルシャワ、ラドム |
シレジアン族 Ślężanieシレンジャニェ |
シレジア地方 ヴロツワフ、カトヴィツェ |
ヴィストラン族 Wiślanieヴィシラニェ |
マウォポルスカ地 クラクフ、ルブリン |
これらの主要部族が定住していた地域は、今日のポーランドの領土において分けられる地域とほぼ一致しています。それぞれの地域にある方言や文化はこれら部族の名残と考えていいでしょう。特にシレジア地方では、ポーランド人ではなく “シレジア人” という意識を持つ人もいます。
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改宗は国をまとめる手段?
自身もスラヴの自然の神々を信仰していたにも関わらず、潔くカトリックに改宗したミェシュコ1世。拠点のポズナンに教会の司教区を設置し、古い寺院を壊して新しい教会を建て、神々の偶像を捨て、自然宗教の慣習に従う者には厳しい罰を与えました。自然の神々への信仰心が強い民衆からは相当な恨みを買ったのは言うまでもありません。
しかし、彼のこの大きな決断がなかったらポーランドは存在しなかったでしょう。また、ミェシュコにとって改宗は国をまとめる手段だったのも事実。キリスト教徒になることで “部族の長” から “一つの国の長” となれるなら、むしろ有益です。
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スラヴ神話と多神教信仰
中世以降、スラヴの国々はキリスト教国家となりましたが、キリスト教に改宗する前のスラヴ人は独自の宗教観を持っていました。
有名なのがスラヴ神話における神々への崇拝すうはいで、スラヴ人が領土を広げる前にそこに住んでいたゲルマン人、バルト人、ケルト人から伝えられた神話に影響を受けています。
そのさまざまな儀式や慣習の土台にあるのは自然への敬いと恐れの気持ち。
神々は幸福、愛、勝利、収穫など恵みを呼びこむ存在として捉とらえられ、その好意を受けるために人々が犠牲になることもありました。
また、古代スラヴでは呪文や自然占いなどキリスト教ではタブーとされているものが盛んに行われていたため、当時のキリスト教徒からするとかなり野蛮に見えたようです。
そんな、お互い相入れないように見える多神教のスラヴ信仰と一神教のキリスト教ですが、実はうまく融合した部分もあります。
ポーランドのお盆である “諸聖人の日” やクリスマス、イースターエッグ、イースターマンデーに水を掛け合う風習なんかも自然宗教と融合した習慣の一つだとか。
改宗しても、古代のアイデンティティが現代にまで受け継がれているのは面白いですね。
スラブ神話の主要な神々
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スラヴ信仰の儀式の特徴
古代スラヴ人は、神々の意思によって世界や人々の運命が決まると信じていました。また占いを通して神々の考えを予測し、祈りと贈り物を捧げる儀式を行うことで神に応えられると考えていたようです。贈り物は、鳥の羽から戦利品などさまざまで、稀に人を捧げることもありました。儀式には必ず指導者や魔術師が参加し、神聖を意味する火を焚き、一体感を強めるために輪を作りました。
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かつて使用された古代スラヴ語
古代スラヴ語とは、9世紀後半から11世紀末にかけて使用されていた言語。
コミュニケーションのためというより、書き言葉として使われていたのがポイントです。
それ以前のスラヴ人は共通スラヴ語を話しており、文字は持っていませんでした。
文字がなければ資料もないわけで、それ故にスラヴ人の起源を紐解くのは難しいのです。
古代スラヴ語が作られた目的はキリスト教の布教にあり、なんと、当時では日常的に使用されることはありませんでした。
これが一つの立派な言語であったなら、たった数百年で消えることはなかったでしょう。
また、広範囲に定住するスラヴ人が一つの言語を用いるのは現実的に難しいこと。
そこで、各民族が話す方言や発音に対応しながら古代スラヴ語は姿を変えていきました。
神聖ローマ帝国(西方教会)からローマ・カトリックへと改宗した西スラヴ人はラテン文字を、ビザンツ帝国(東方教会)から正教会に改宗した東・南スラヴ人はキリル文字を用いて各言語を発展させていったのです。
(ポーランド語が馴染みやすいラテン文字でよかったと思う)
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スラヴ人の外見的特徴とは?
ヨーロッパは混血が進んでいるので純粋なスラヴ人は年々減ってきています。
あいにく、外見の特徴をズラッと並べたところで当てはまらないケースが多いでしょう。
私の夫きょうだい5人を見ても、やはり、みんな髪や瞳の色が異なります。
たとえば、夫はダークブラウンの髪×グレーの瞳で、兄・弟はもっと髪色が暗くて(ブルネット)瞳も茶色、姉や妹はダークブロンド。
一般的にポーランド人と言うとブロンドを想像する人も多いですが、実際はダークブロンドとブラウンが圧倒的な割合を占め、アジア人並みの黒髪を持つ人もいるのです。
髪質はやわらかく、クセは強くありません。
上のサンプルで言うと、ポーランド人は東北欧〜バルトタイプ、ロシア人やウクライナ人は東バルトタイプ、ブルガリア人と旧ユーゴスラビアの人々はポントスタイプ。
東バルトタイプはアジア系民族の遺伝子を含み、ややのっぺりした顔立ちになります。
ちなみにポーランドでもロシア人女性は美人だと言いますが、男性は……だそう。
全体的にスラヴ人女性はどの国の人からも美人と称賛されますが、男性は差があります。
私の住むポーランド南西部ではバルトタイプが圧倒的に多く見られますが、西〜南西部は現ウクライナ西部からの移住者も多いので東バルトタイプも珍しくありません。
北に行けば行くほど色素は薄くなっていき、スカンジナビア系の顔立ちの人が増えます。
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スラヴ人は主に西スラヴ人/東スラヴ人/南スラヴ人の3グループに分けることができ、もともとは東ヨーロッパ(現在のロシア〜ウクライナ周辺)に住んでいました。そして、より良い土地を求めて西へ南へと移動し、9世紀頃になると神聖ローマ帝国やビザンツ帝国の影響を受け、やがて国家や個々の言語を形成するようになったのです。ポーランド人の場合は西スラヴ人グループに分けられ、10世紀半ばにローマ・カトリックへと改宗すると同時にポーランド王国として独立しました。
現代では他民族の影響を受け、各地域のスラブ人に大きな差があるようにも見えます。しかし言語一つにしても似た文法構造と共通の語源を持つ単語があり、ところどころでスラヴの名残があります。19世紀には汎はんスラヴ主義というスラヴ民族の統一を目指す運動も盛んになりました。また、スラヴの伝統とうまく融合した教会の祝日や季節ごとの習慣もあります。ポーランドは2016年で洗礼1050周年を迎えしましたが、まだこうしてスラヴの精神が受け継がれているのは興味深いですね
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Source: ポーランドなび -WITAM!-
Source: 東欧あんてな
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