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【時系列で総まとめ】イエスの母、聖母マリアの清らかな一生を徹底紹介
投稿日 2020年8月17日 06:41:59 (未分類)
この記事の内容
キリスト教の中でもカトリックや正教会などの教派において、聖母マリアは深く敬われる存在です。聖母は神でもあり、人でもあるイエス・キリストの母。しかし、聖書をいくら読んでも人物像をよく掴むことができません。
そこで聖書や外典の記述をもとに、カトリック教徒である筆者が聖母の生涯を分かりやすく、時系列で紹介します!
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この記事の目次
❶ 聖母の生涯1 〜イエス誕生前〜
現パレスチナ、ナザレで誕生
エルサレムでの神殿奉献
婚約までの9年間、神殿に仕える
神殿でヨセフとマリアが婚約
天使からイエス懐妊のお告げ
妊娠中の叔母エリザベトを訪問
住民登録のため、ベツヘレムへ
❷ 聖母の生涯2 〜イエス誕生後〜
イエスの誕生/クリスマス
羊飼いと東方三博士とうほうさんはかせの礼拝
イエスを連れてエジプトへ避難
産後の潔きよめと初子の奉献
祭りの帰り、イエスを見失う
カナの婚礼にイエスと参加
十字架に架けられたイエスを見送る
❸ その後、聖母は天に上げられた
❹ 聖母を記念する5つの記念日
❺ バチカン公認!秋田の聖母マリア
❻ この記事のまとめ
【信者が徹底解説】キリスト教の最大教派・カトリックってどんな教え?
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聖母の生涯1 〜イエス誕生前〜
。以下のタイムラインに記載する年号や日付は聖書研究に基づいたものであり、さかのぼって計算した場合や史実とは異なります。
聖母の生涯2 〜イエス誕生後〜
。以下のタイムラインに記載する年号や日付は定説に基づいたものであり、さかのぼって計算した場合や史実とは異なります。
ある羊飼いらの頭上に天使が現れ、「ベツヘレムで救世主(イエス)が誕生したので礼拝せよ」と告げられる。また、遠い東の国にいた3人の博士も西の空に見たことのない星を見て(ベツヘレムの星)ユダヤ人の王の誕生を知る。星に導かれるように旅をし、マリアに抱かれたイエスを礼拝した。
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東方三博士は占星術の学者であり、遺骨はケルン大聖堂に納められている
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三博士は旅の途中で会ったヘロデ王に “ユダヤ人の王の所在” を尋ねた。ヘロデは自分に代わる王が存在することに驚き、自分もその王を拝みたいので居場所が分かれば知らせるようにと三博士に頼む。しかし、実際は殺すつもりであることを夢のお告げで知り、三博士はヘロデに居場所を知らせず東の国へ戻った。
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ルカの福音書のみに記されている、イエスの少年時代に唯一触れたエピソード
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イエスはヨセフを指して “父” と答えたわけではなく “父なる神” を指していたが、ヨセフとマリアは意味が分からなかった
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現代のユダヤ教においても行われる伝統的な祭り。エジプトでユダヤ人の先祖が奴隷とされていた古代(紀元前15〜13世紀頃)、指導者モーセがイスラエルの民をエジプトから救い出した。過越祭はそれを記念するための祭りである。キリスト教では復活祭に相当する。
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この時にマリアが流した涙が落ちたところから咲いた花がカーネーションといわれ、母の日に贈る花とされている
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その後、聖母は天に上げられた
。こうしてまとめると聖母マリアについて多く触れているようですが数十年の空白もあり、聖書には細かい記録がありません。
。“聖母の生涯1〜イエス誕生前〜” の項目に記した内容の大半が外典から来るものですが、イエス死後のマリアについても外典や黄金伝説という書物で確かめることができます。
。イエス死後のマリアのようすについて、聖書で触れている箇所は下記のみです。
使徒言行録1-12〜14
(イエスの昇天後)使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。 彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。(略)彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。
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。一般的に伝えられるマリアの晩年は、エフェソス(現トルコ)で聖ヨハネ(イエスの弟子)と数年間を過ごし、その後エルサレムに移って紀元後40年代に逝去したという説。
。あるいはエフェソで最期を迎えたとか、エルサレム郊外の家でひっそりと暮らしたとか、いずれにしても正確には分かりません。
。伝承によれば、マリアは逝去の3日前に天使から死を告げられ、一度は棺に納められますが、のちに大天使ミカエルによって肉体ごと天に上げられました(聖母の被昇天)。
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聖母マリアの霊魂は肉体とともに天使によって天国に運ばれ、イエス・キリストの栄光にあずかったことを記念する日。5世紀頃に「神の母マリアの祝日」として祝われていたが、6世紀以降、聖母が天に上げられたことを記念する日となった。1950年、教皇ピオ12世は教会の教義であると公布する。
聖母を記念する5つの記念日
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12月8日 … 無原罪の御宿り
9月8日 … マリアの誕生日
11月21日… マリアの神殿奉献
3月25日 … 受胎告知
8月15日 … 聖母の被昇天の日
。この中でも、前項で紹介した「聖母の被昇天の日」はカトリック教徒が大半を占めるポーランドはもちろん、フランスやイタリア、中南米でも祝日として定められています。
。“神の母” と言えども信仰対象はイエス・キリストであり、聖母にまつわる祝日ごとに大々的にお祝いをするわけではありません。
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バチカン公認!秋田の聖母マリア
。多くの人にとってにわかに信じ難い話でしょうが、聖母マリアがご自身の姿を表したり声を掛けてくださるという事象があります。
。これを聖母の出現といい、お告げを受けたり姿を見る人々は信者に限りません。
バチカンも科学的調査を行ったうえで奇跡と認めるため、誰かのいい加減な発言や人々の計画によるものではないというのは確かです。
。そして実は、秋田市添川湯沢台にある聖体奉仕会(カトリック修道院)に「101回の涙を流した聖母マリア像」という、バチカンも認めた “奇跡のマリア像” があるんです!
。2016年の一時帰国の際、夫ともに秋田の聖母像を拝みにいきました(聖母像は撮影できないので写真はありません)。
。当時の私はカトリックの洗礼を受けてまだ1年ちょっとでしたが、それなりに心に深く響くものを感じたことはよく覚えています。
。社寺しゃじ建築を取り入れた美しい聖堂や、手入れされたマリア庭園にも魅了されました。
今度は夫と同じく敬虔なカトリック教徒である義両親も連れて、もう一度、この秋田の聖体奉仕会修道院を訪れたいと思います。
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聖母マリアの生涯をイエス生誕前後に分けて紹介しました。特にイエス生誕前のマリアについてはカトリック教徒の間でも意外と知られておらず、当時の掟など含め、信者問わず興味深い内容だったのではと思います。たとえ伝承によるものだったとしても、聖母の生涯を知ることで広く崇められているマリアも一人の人間であったことを実感できるのではないでしょうか。
私はクラクフ公認ガイドとして何十もの教会や礼拝堂をガイドしていますが、キリスト教を知らずしてポーランドの真の歴史は語れません。マリア崇敬なしに今のポーランドが存在しなかったのは紛れもない事実なのです。そして聖母を「国家の女王」として見なすのは、ポーランドだけ。信仰に関係なく、観光目的でポーランドへ訪れるすべての人たちに聖母を知ってほしいという思いで当記事を書きました。
Source: ポーランドなび -WITAM!-
Source: 東欧あんてな
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