-
モルドヴァの誕生日
投稿日 2019年11月20日 17:54:00 (ルーマニア)
10月の終わり、ある昼下がりに電話が鳴った。
1年ぶりに聴く声は、モルドヴァのチャーンゴー人の友人メリツァだった。
「11月24日に私の誕生日をひらくの。
ハンガリー人の舞踊ダンサーやインドから楽団(Dil Mastana)もやってきて、
盛大なパーティーになるから、家族も誘ってどうぞきてくださいね。」
懐かしい声と誘いを喜びとともに聞いていた。
しかし、あいにく11月の終わりは日本への帰国している時期だった。
連絡したいと思いながら、できなかった相手だった。
息子が病気になり、年末にもイースターの時期にも
訪ねたいと思いながら、遠出をすることができなかった。
1年半も会っていないのに誕生日に誘いを受ける、
以心伝心のような不思議な体験に胸が躍った。
彼女の誕生日の前に、思い切ってモルドヴァへ訪ねる計画を立てた。
モルドヴァのバカウ県は、
山を隔てただけで私の住むコヴァスナ県とは実は隣にある。
それなのに、モルドヴァと聞いて、
どこか世界の果てのような遠いイメージを覚えるのはどうしてだろう。
トランシルヴァニアに住む者にとって、精神的な遠さがあるに違いない。
100年前までは、確かによその国であったのだから。
しかし、モルドヴァのチャーンゴー人は
住み慣れたトランシルヴァニアを捨てて、山を越えて新境地へと向かった。
カトリック教と母国語ハンガリー語は捨てられずに、
いかに弾圧を受けようともずっと彼らの生活に寄り添ってきた。
カルパチアを越えて、山を下ると
いつも話題になるのが、コヴァスナ県と同じ地名が
モルドヴァの山向こうにいくつも存在する不思議だ。
おそらく、同じ人々が何らかの理由で移住していったからなのだろう。
タトロシュとスィレト(チャーンゴー人の方言で「愛」を意味する)と呼ばれる川の間に、
いくつものチャーンゴーの村が存在する。
2000年の1月に私が友人の写真家とともに
クレージェから徒歩で森を越えてたどり着いたレケチンは、
「神様の背の向こう」というハンガリー語の表現にまさにぴったりの
遠い遠いかなたの世界であった。
日暮れ時に、村の入り口にある産婆さんの家を訪ねて、
薄暗い小さな部屋にある機織り機と部屋中に飾られた色とりどりの織物。
モルドヴァの旅の中でも、それが最も印象に残る場所だった。
そして18年後、再びレケチンの村にやってきた。
今度は、合計で4度目の旅である。
村の入り口で電話をかけると、
「三つの像のところで、車を止めなさい。」とメリツァ。
村に入ると、あちらこちらでキリストの像が立っていた。
そして、三つの屋根つきの建物を遠くから見た時、記憶がよみがえった。
車を止めると、マールトンおじさんが迎えに来てくれた。
2人の子供を伴って、持ち寄った食べ物や贈り物を持って、
大きな石がごろごろと残る坂道を登っていく。
坂の中途に、メリツァが妹さんとふたりで暮らす家があった。
あたたかな太陽の光が差し込む室内は、
紫色で彩られ、色の洪水のような織物が主人とともに迎えてくれた。
「準備をして、待っていたのよ。」とメリツァ。
カトリンツァと呼ばれる巻きスカートに、花柄のスカーフを巻いている。
家の中、絨毯として床に敷いている織物の
何と色の鮮やかなこと。
モルドヴァのくったくのなく、陽気な人々の心をそのまま織ったかのようだ。
自家製のワインで乾杯をして、
モルドヴァ名物のジャガイモと羊のチーズ入りのパンを頂き、
ロールキャベツや鳥のスープ、ケーキなど、
次々とご馳走が広げられた。
私たちからのプレゼントは、
亡き舅が生前出版した、モルドヴァの民謡を集めた本だった。
同じ村の歌はあるかとリストを見ていると、
メリツァの名前が見つかった。
記録した年は、まだ彼女が23歳の頃だった。
今から30年以上前に、舅はこの家を訪ねてメリツァに会っている。
同じ歌を歌ってもらうようにお願いすると、
ハスキーな美しい声が美しい民謡を奏でた。
メリツァは私と同じ年の妹とふたり、
畑仕事や家畜をこなしながら、機織りで生計を立てている。
この夏には、20着ほどチャーンゴーの衣装を作った。
さらにチークセレダの町でたびたび民謡やダンスも教えているという。
坂道を下り、マールトンおじさんの家に向かう。
通りの風景ひとつにしても、レケチンの村は昔のルーマニアを思い出させる。
マールトンおじさん宅でも、ワイン片手におしゃべりがはじまった。
メリツァが、この夏に起こった信じられない出来事を告げた。
「両親の死後も、ずっと行方の知れなかった兄を探し出して、
故郷に帰るように呼んだら、いきなり私たちをつかみ出して追い出そうとしたのよ。」
警察を呼ぼうとしても繋がらない。
親が遺した土地を相続しようとしたら、
実は祖父母の名前のままだったというのも、ルーマニアではよくあることだ。
メリツァはトランシルヴァニアの親しい友人に相談したら、
何人もが救いの手を差し伸べてくれた。
誰もが自分の敷地内に家を建てたらいいと言った。
最後に、彼女は思い切った行動をとる。
ルーマニア正教の神父に黒魔術を施すように相談したというのだ。
この話を、遠くに住む兄に告げた途端、騒ぎが収まったという。
警察にも、弁護士にも解決できない問題を、
こういう古い習慣がカタをつけたという事実に目を見張った。
マールトンおじさんの名付け親の家を訪ね、
行く先々で、リンゴやブドウ、ワイン、ちいさな織物、お菓子などをもらい、
すでに薄暗くなった村をあとにしようとしていた。
最後の驚きは、旦那が以前写真を撮ったおばあさんだった。
去年の夏、上から下まで普段用の民俗衣装を身につけていた。
旦那ひとりがおばあさんと話し、
「家の前で待っているから、来なさい。」と約束事を交わしていたのだ。
真っ暗になった坂道で、おばあさんは大きな荷物を両手に立っていた。
誰を待っているのかと思えば、私たちだった。
私たちの車のところまで見送り、
ずっしりと重い荷物を手渡してくれた。
何キロもあるクルミと、骨付きの燻製肉だった。
村人にとって、大切な食糧であることはすぐに分かったので、
動揺していると、「あとで袋を開けたら何かわかるわ。メリツァには内緒にね。」と
いたずらっぽく指を口にあてた。
私も今日スーパーで買ったばかりのさまざまなものを袋に入れて手渡した。
誕生日を祝いに来たのに、荷物入れに入りきらないほどのお土産を逆にもらい、
心からのおもてなしを受けて、温かな気持ちとなった。
ここでは、お金では手に入らないもの、
人の繋がりがもっとも大きく、大切なものと人々は心底信じている。
普段の生活の中で見失いがちだった何かを思い出させてくれるようだった。
Source: トランシルヴァニアへの扉 – Erdely kapuja-
続きを読む>>最新情報